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白石蔵王

しろいしざおう

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江戸期の天守の忠実な姿

白石城

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記事制作:
Kappo
白石城

益岡公園の高台にそびえる三層の天守は、平成の再建ではあるが、江戸時代の白石城を忠実に復元した純木造の建築。白石は江戸期を通じて片倉氏が治め、仙台藩の一領地ながら、徳川幕府から例外的に城を認められていた。中を見学することができ、江戸時代の城の構造がよくわかる。城跡は春は桜の名所でもある。片倉小十郎人気の中、多くの歴史ファンが訪れている。

白石城本丸。維新後の明治7年に破却されてのち、120年の時を経て忠実に復元された。

江戸期の天守の忠実な姿

白石の町から蔵王の毅然たる山並みが見えた。空は晴れ、北西の風が顔に刺すように吹いている。大陸から日本海を渡り、奥羽山脈を乗り越えて来た吹き颪の風である。蔵王という山は、真っ白な雪を抱いている姿が、ことのほか美しい。

地図を眺めてみる。白石は北に仙台、南に福島の相馬や会津、そして西の山向こうに米沢の町を隣り合わせている。この地勢が、これまでの白石を運命付けたといっていいだろう。白石は歴史の節目のたびに、その表舞台に登場してきた町なのである。

歴史ブームの今、白石は多くの観光客を集めている。その中心となっているのが、白石城である。

白石市役所の西、小高い丘の上に立つこの天守は、平成7年に再建されたものである。平成の建築ではあるが、江戸期の白石城の姿を忠実に再現しているという。

市役所の北の城下広場に車を置き、歩いて城に登る。小高い丘に立つ、いわゆる平山城である。山裾の堀に、冷たく澄んだ水が流れている。かつてはさらに大きな堀が取り囲んで城を守っていた。坂を上がり、歴史探訪ミュージアムを過ぎると、石垣の上にそびえる天守が見えてきた。

上の階を順に小さくした姿は層塔型と呼ばれ、天守としては比較的新しい様式なのだという。屋根の三角部である破風が少ない姿も、同様だという。そのためか、白石城の天守はシンプルながらも、均整の取れた外観を呈している。高い石垣の上にある様が、なおのこと天守らしい。

屋根を覆っているのは、美濃の耐寒いぶし瓦。総数4万3千枚を大阪の瓦職人が葺き上げた。大棟の両端に乗せた鯱は重さ120キロもあり、東が雌、西が雄なのだという。

外壁は白の漆喰で覆われている。やや銀色がかったいぶし瓦の黒が、漆喰の白の美しさを際立たせている。

白石城の天守を乗せた石垣は、石を加工せずに積み上げた「野面積み」と呼ばれるものである。そして東に続く大手門周辺の石垣は、「打ち込みハギ」という、加工した石の隙間に間詰め石を嵌め込んだ積み方になっている。当然後者の方が時代が新しく、勾配をより急にすることが可能であるため、城の守りもより堅固になる。

現在、再建したこの建築を天守、あるいは天守閣とも呼んでいるが、江戸時代には大櫓、三階櫓などと称していた。あえて天守を名乗らなかったのは、徳川幕府や伊達家に憚ってのことであった。

江戸幕府が例外として許した城

戦国の世を制した徳川家康が、江戸幕府を開いて後の1615年、幕府は一国一城令を発布し、各藩に藩主の城以外の城を破却させた。城とは戦のためのものであり、再び戦国の世ともなりかねない時代にあっては、極めて危険な施設であった。

白石は藩ではなく、仙台藩の一領地にすぎない。にもかかわらず、例外的に城を残すことが許された。これは領主である片倉小十郎(景綱)を、家康が高く評価して一目置いたためといわれている。さらには白石の地が、幕府にとっても戦略的に重要な場所であると考えられていた。西の上杉は関ヶ原で敵として戦った名門であり、北の伊達とてまだ気を許すことのできない存在であった。

ちなみに仙台城も天守を持たない城として知られている。政宗を警戒する家康に対し、表向きは恭順の姿を見せる必要があったともいわれている。

白石城をさらに先へ進み、大手門をくぐる。本丸への出入口である大手門は、一ノ門と二ノ門からなり、その間は塀と門に囲まれた狭い空間となっている。これは「枡形」あるいは「虎口」と呼ばれるもので、攻め込んできた敵に対し、四方から攻撃できる造りになっている。門や塀の壁には、鉄砲を撃つ「鉄砲狭間」や、矢を射る「弓(矢)狭間」が開けられている。さらには、石垣を登る敵を攻撃するための、「石落とし」も付けられている。

白石城天守は1819年に消失し、その後に再建された。現在の建物は再建後の姿を忠実に復元している。天下泰平の時節の城ながら、戦国時代の構造も残しているのは、あるいは意匠的な意味合いなのかもしれない。

本丸を進み、天守の中へと入る。鉄筋やコンクリートを使わない純然たる木造建築。柱や梁なども実に見事なものだ。吉野の檜、山陰の赤松、青森のひばを贅沢に使い、しかも耐久性と美しさに勝る赤身材なのだという。施工は京都の宮大工が中心となって行った。

内部の外壁廻りは「武者走り」という、戦時に武器を持った兵が走り廻るための場所であり、挟間や石落としも見ることができる。一階の中央部は武器や武具を保管した場所。櫓とは矢倉とも書くが、このことも、本来が戦のための施設であることをよく表している。

急な階段を登り、最上階へと出る。天井の木組みが素晴らしい。高欄に出、白石の町を見下ろす。今は広場となった本丸跡も見える。北西の方角に、蔵王の山並みが美しく座っていた。

大手門の「枡形」。奥の二ノ門と手前の一ノ門の間が細長く狭い空間になっており、攻め込んできた敵を攻撃する構造になっている。
本丸の復元模型。今は天守と門以外何もないが、かつては本丸御殿が敷地いっぱいに並んでいた。
天守台の石垣は、自然の石をそのまま使った、「野面積み」と呼ばれる古い組み方。石垣に戦国が残っている。
天守内部の2階。外壁側の廊下のようなスペースが「武者走り」。戦時に兵が武器を持って走り廻る場所。

白石城

住所
白石市益岡町1-16
電話
0224-24-3030
営業時間
9:00~17:00(11月~3月は9:00~16:00まで)
※入館は閉館の30分前まで
料金
天守閣300円、シアター300円、
武家屋敷200円、共通券600円
定休日
年末年始のみ
住所
白石市益岡町1-16
電話
0224-24-3030
営業時間
9:00~17:00(11月~3月は9:00~16:00まで)
※入館は閉館の30分前まで
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※本記事の情報は掲載時の情報です

  • 取材・文:菅原ケンイチ
  • 写真:菊地淳智