建築さんぽ
宮城県知事公館

1694-95(元禄7-8)年、広瀬川に澱橋が架けられた際、崖を切って開かれた新坂。これを上った通りの西側に広い庭園を擁する宮城県知事公館がある。仙台城内の門を移築したと伝わる豪壮な門をくぐれば、見えてくるのは青い屋根の建物。もとは大正期の陸軍第二師団長の住居だった。

2023年2月、仙台市出身の一力遼棋聖と芝野虎丸名人による囲碁「棋聖戦」の対局が行われたことで、その存在に改めて気づいた方も多いのでは。宮城県知事公館は結婚式や食事会にも利用可能な公共施設だ。
川内の対岸に位置するこの地は歴史が幾重にも重なる。最初に居住したのは四代藩主伊達綱村の家臣田村顕行。明治に入ると山田揆一(のち仙台市長)の屋敷に、次いで尚絅女学院の前身の校舎に、さらに衛戍病院長山田氏の屋敷となる。現在の建物は1921(大正10)年、陸軍第二師団長の邸宅として建てられたもの。戦後は進駐軍に接収され、日本返還後には県児童会館として活用された。知事公館となったのは1965(昭和40)年。改修したとはいえ躯体や外観意匠は原形を残す。
大沼正寛東北工業大学教授は「大正期の地方都市における洋館併置の近代和風住宅の典型ですが、軍人の家として威厳を表した雰囲気もあります」と語る。 洋館とは、玄関に向かって左、つまり東側の大きな寄棟半切妻屋根の部分。青いフランス瓦と玄関の車寄せ、とりわけ柱頭や表面の装飾を抑えどっしりと構えたトスカーナ式の柱が印象的だ。柱や基壇はモルタルに小石を混ぜて磨いた「洗い出し」の仕上で、黒い玄昌石の床とあいまって堅固な雰囲気を醸し出す。入って正面のメインの洋室(もと応接室+食堂)は、大きな出窓や暖炉、シャンデリアに彩られ、窓越しに庭の緑が映える。隣の洋室(もと正座敷+縁側)は南の庭に開かれ、今も庭に出ることができる。続く和館は雨戸がサッシとなり、公館らしく奥の正座敷がテーブルとソファの貴賓室に改修されたが、縁側の軒桁として針葉樹の一本丸太(丸桁)などが確認できる。
「洋館は『表向き』の接客空間。この家ではマントにブーツといった軍人の来訪も意識されたのでしょう。これに対し、面積の大半を占める和館は入母屋の屋根に『むくり破風』、中央には棟木の小口を隠す装飾『懸魚』、破風の奥には『木連格子』など、社寺によく見られる部位を用いつつ穏やかにまとめています」と大沼教授。
約1440坪の敷地には、コウヤマキやイチョウ、カエデの美樹が茂り、サクラ、ツツジ、ボタン、アジサイなど四季折々に花が咲き誇る。取材時、地震被害のため安全を期して正門は閉ざされていたが、通用門からも庭園に出入りできる。
※正門は修繕の予定あり
宮城県知事公館
- 住所
- 仙台市青葉区広瀬町5-43
- 電話
- 022-211-2212
- 開館時間
- 9:00~16:00
- 休館日
- 水曜午後
- 問い合わせ
- 宮城県秘書課総務班
- 住所
- 仙台市青葉区広瀬町5-43
- 電話
- 022-211-2212
- 開館時間
- 9:00~16:00
- 建物・庭園の見学は要予約
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雑誌掲載日
※本記事の情報は掲載時の情報です
- 文:千葉由香(荒蝦夷)
- 写真:池上勇人