また、来たくなる。また、食べたくなる。あたたかいもてなしの宿
四季の宿 みちのく庵

「この間よりも、だいぶ緑が深くなったでしょう?」と、ひとしきりのあいさつのあと、女将の裕貴さんが明るい声をかけてくれた。若女将の由夏さんが、「お天気が保ってよかったですね。紅葉も綺麗ですけど、新緑の時期も爽やかでいい景色ですよ」と受ける。到着後のふたりとの会話に、少しばかり緊張していた心がほぐれていく。鎌先温泉にある『みちのく庵』。客室数が全9室と大きい宿ではないが、著名人も含めリピーターが多いことで知られる温泉宿だ。基本的に部屋食のためプライベートが確保されるところも人気の理由ではあるが、宿の魅力はそれだけではなかった。
この日は、2024年3月に新しくなった「和すぃーと 曙庵」を予約。まだ新しい香りが残る部屋のトビラをあけてアプローチを進むと、蔵王の山々を望む大きな窓がいちばんに目に入る。多様な木材を取り入れた和モダンの空間に、センスよくインテリアが配されている。テラス付きのため、外でくつろぐのもいいだろう。ダイニングに広々としたソファを有したリビングルーム。畳敷きの空間もあり、室内履きを脱いで過ごせるスペースがあるのもいい。楽しみにしていた風呂は、もちろん温泉。広々としたパウダールームに加え、ミストサウナが新設された。開放的な大浴場の露天風呂も気になっていたが、今回はこの「曙庵」を満喫することに決めた。


『和すぃーと 曙庵』。部屋にはイスがところどころに置いてあり、気分によって過ごし方を変えられるのもうれしい。床暖房に加えて「BALMUDA」のBluetoothスピーカー、ネスプレッソマシンなど設備も充実。
案内してくれたのは、スタッフの庄子美紅さん。『みちのく庵』では、滞在中の世話を1人のスタッフが担当する。顔を合わせる頻度が増えるので会話も増え、それも楽しみの一つになってくる。ウェルカムドリンクには「ソフトクリームに意外と合うんですよ」という女将のすすめでビールを選ぶ。湯上がりの楽しみをいっぺんに味わっているような少しの背徳感とともに、ほっとひと息つく。これからなにをしようか、なにもしないという選択肢があるのも贅沢だなあと思いながら、まずは温泉を楽しむことにした。浴室の壁一面がガラス張りのため、外の緑を眺めながらの入浴。窓を大きく開ければ、半露天のような風を楽しめる。温泉も景色も独り占めする、贅沢な時間だ。湯上り後、テラスに出て暮れゆく空を眺めていたら、あっという間に夕食の時間になった。


5月初旬の品書きには、名残の山菜が並んでいる。コゴミと蒸海老の先付け、椀物にタケノコ。八寸は見た目も美しい。驚いたのは刺身。ここは本当に蔵王山麓かと疑うほどのみずみずしさで、食べごたえのある内容。笹の葉で巻いた昆布締めなど、仕事が細かく味わいも多彩だ。仙台黒毛和牛のステーキは、野菜を添えて。炊合せに今の時期しかお目にかかれない鯛子、タケノコごはん。今年のタケノコは宿の竹林で穫れたものだ。身体の内側に春から初夏に向けた季節のエネルギーを蓄えるような懐石料理だった。
夕食後、ミストサウナを試してみる。スイッチを入れ15分ほどでいい温度になり、もわもわと立ち込めるミストの中に身を投じる。心地よい温度に包まれ、じんわりと身体があたたまる。水シャワーで汗を流し、ひと息つく。窓を開ければ〝ととのう〞環境もばっちりだ。そんなことを繰り返し、湯上り後はまた部屋でくつろぐ。心も身体もほぐれきったところで眠りにつける、なんとも幸せな過ごし方だ。


黒で統一されたシックな部屋付きの風呂は、Aquaのミストサウナを併設。使い方などはパウダールームの引き出しにあるので確認を。
翌朝はあいにくの雨模様だったが、しっとりした緑の景色もまた乙なものだ。朝食はごはんのおともが小皿に盛られた和食膳。パリパリの焼鮭の皮は、「皮を残すお客様が多くて、どうしたらおいしく食べていただけるか料理長が試行錯誤した結果なんです」と庄子さん。顔が見えずとも、その心配りに思わず笑みがこぼれる。
『みちのく庵』の心地よさは、人の魅力を含めたもてなしだ。女将さんは「わたしと若女将は、言わば羊飼い。目指す方向だけを示し、スタッフには自由でのびのびとした接客をしてもらいたいと思っています。そして、スタッフが楽しく働けているかどうか、いつも気にかけるようにしています」。月に一度、女将と若女将が栄養バランスのとれた食事を用意し〝女将さん食堂〞としてスタッフに感謝する日を設けている。制服も、着るだけでモチベーションが上がるようなものを選んだ。食事もくつろぐ空間も上質にこだわった、日常と地続きの特別な時間を過ごせる宿。〝家族のようなもてなし〞という評をみかけるが、『みちのく庵』そのものに家族のようなあたたかさがあるのだ。
帰りがけ、女将と若女将、庄子さんの3人が、お見送りをしてくれた。車が見えなくなるまで手を振ってくれる姿を見て、次はいつ来られるかな、と再訪の時期を考えた。


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- 取材・文:小林 薫(編集部)
- 写真:池上勇人