ふるさとの逸品。川俣シャモをまっすぐに料理
シャモとワインの店 陽風水

平安時代に始まった養蚕は川俣の地を絹織物の名産地へと発展させ、江戸時代には幕府直轄の天領にまで押し上げた。この頃、天領で盛んに行われていた闘鶏が川俣へも伝わり、絹織物で財を成した機屋の旦那衆の娯楽として人気となり、養鶏の文化が根付いたという。1941(昭和16)年、シャモは天然記念物に指定され、闘鶏も養鶏も一度は廃れてしまう。川俣の歴史の中に再びシャモが現れるのは1983年。「遠方より訪れ来る人のために、何か特別なご馳走を」という町の機運が、シャモの研究・開発へと向かったのだ。
「私が子どもの頃の川俣シャモは、まだまだ研究途中の段階。とにかく肉が硬くて、手放しでおいしいとはとても言えないものでした。しかし父をはじめとした養鶏家の皆さんが一所懸命研究を重ね、交配を繰り返して現在の川俣シャモを生み出した。その努力を知っているから、賜物であるシャモのおいしさをたくさんの人に伝えたい。そんな思いから、この川俣シャモの専門店を始めたんです」
生まれ故郷への恩返し。その気持ちが軸にあるからだろう。店主である佐藤弘規さんの捌きかた、串の打ちかた、焼きかたは実に繊細で美しく、最高のタイミングを味わえるようサーブしてくれる。

まだじりじりと音を立てて震える正肉は、モモ、ムネを抱き身に仕立てネギ間に。脂の艶で光る皮をぱりっと噛めば、皮と身の間の脂がとろけ、ふっくらぎっしりしたモモが弾ける。すかさずネギの香気を口休めに、2粒目のムネのしっとりさっぱり感を楽しむ。甘い脂が口中を席巻するボン尻、こりこりの砂肝、骨までしゃぶりつくしたい手羽先、ふくふくとろり、の月見つくね。一本一本の満足感が非常に高いのに、もう一本、さらに一本と手が止まらなくなる。しかし『陽風水』ならではの逸品は串焼きのみにあらず。小鍋仕立てでくつくつと煮えるすき焼きが、この店の西の横綱なのだ。鶏のすき焼きは、すき焼きそのものの原型であり、また残ったすき焼きに卵を溶き入れ飯の上にのせて食べたのが親子丼の始まりだという説も。親子丼の名店と言えば人形町「玉ひで」だが、川俣シャモの繋ぐ縁で佐藤さんは「玉ひで」8代目の山田耕之亮さんの知遇を得、彼の指導の下で作られた親子丼が『陽風水』でも味わえる。
「山田さんからいただいた銅の雪平鍋でひとつずつ作るので、混み合っている時はお待たせしてしまいます。何しろ、串焼きも親子丼も火にかけ始めたら手が離せないので」
佐藤さんセレクトのワインを傾けながら、しばし待つとしよう。うまいものは、それも楽しみのうちなのだから。
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