規模も歴史的価値も 日本最大級の特別史跡
三内丸山遺跡

「三内丸山遺跡」は今から約5900~4200年前の大規模集落跡で、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の中では定住生活発展期の後半に位置づけられている。元和9(1623)年に編纂された『永禄日記(館野越本)』にすでに記載があり、江戸時代からすでに土器などが出土することが知られており、特に学術的価値が高いとされる特別史跡に指定されている。
発掘調査によって、竪穴建物、掘立柱建物のほか、道路や墓などが計画的に配置されていたことがわかっている。ヒョウタン、ゴボウ、マメなどの栽培植物の出土のほか、当時すでにクリを栽培していたことも判明し、縄文文化のイメージを大きく変えることになった。膨大な量の土器や石器、装身具、動物・魚類の骨といった暮らしの痕跡の出土により、最盛期には約500人が生活していたという説もある。
それに伴い、他の遺跡に比べて住居の数も桁違いに多い。三内丸山遺跡を特徴づけるものとして大規模な「盛土」が作られたことが挙げられる。長期間継続した地域の拠点的なといえる集落でのみ顕在化する、重要な遺構だ。盛土からは生活道具のほか土偶や小さな土器、ヒスイ製品といった祭祀に関連する遺物が集中している。中には子どもを埋葬していた土器が見つかった盛土もある。死者に思いを寄せる風習が当時もあったことが窺い知れる。
高い技術や精神性を持った彼らの暮らしは、数千年の時を経ても根本的な人間らしさは現代と変わらなかったのではないか。発掘調査は現在も続いている。




サイト掲載日
雑誌掲載日
※本記事の情報は掲載時の情報です
- 取材・文:小林薫(編集部)
- 写真:齋藤太一