石垣が語る、関門の記憶
白河小峰城

別名/小峰城、白河城
構造/梯郭式平山城
主な城主/結城氏、蒲生氏、上杉氏、丹羽氏、本多氏、松平氏、阿部氏
天守/三重櫓が実質上の天守
主な遺構/石垣、堀
再建建築物/三重櫓、前御門
14世紀中頃、結城氏が小峰ヶ岡に築城したのが始まりとされる。江戸初期の白河は会津領であったが、後に丹羽氏が10万700石で入封し、奥州の押さえとしての白河藩が成立する。このときに現在につながる白河小峰城の姿になった。平成に三重櫓と前御門を木造で復元。三重櫓は実質の天守であり、下見板張りの黒が特徴の端正な姿。見事な石垣を見に訪れるファンもいるほど。
奥州関門の名城
東北の関門の地、白河。1627年に丹羽長重が10万700石で入封し、白河藩が成立する(江戸時代の当初は会津領の一部だった)。このとき大改修が行われ、石垣を多用した城の姿となった。
本丸の北東に立つ三重櫓は、平成3年に木造で復元されたものだ。各階外壁の下半分は「下見板張り」となっており、その黒が印象的である。
総延長2kmにおよぶ石垣はこの城の見所である。さまざまな積み方が見られ、所々に半円型の同心円が見られるなど、高度な技術を持った職人集団がいたことを窺わせる。
白河藩はめまぐるしく藩主が交代した(実に7家21代を数える)。江戸後期に幕府老中として「寛政の改革」を行った「松平定信」は、徳川吉宗の孫であり(御三卿である田安徳川家に生まれた)、白河藩の名君である。
白河はその立地から、戊辰戦争の激戦地となり庶民は甚大な犠牲を払った。城は落城焼失し戦死者は両軍合わせて千人近くにも及んだ。復元の三重櫓は内部が見学できるが、そこに使われている木材にも、立ち木のときに被弾した弾の痕が見られるのである。



■桜データ
白河小峰城の桜
種類と本数/ソメイヨシノなど約180本
例年の見頃/4月中旬
開花情報/問・0248-22-1147(白河観光物産協会)
小峰城歴史館
- 住所
- 白河市郭内1-73(城山公園内)
- 電話
- 0248-24-5050
- 営業時間
- 9:00~16:30(最終入館16:00)
- 休館日
- 月曜、祝日の翌日、12/28~1/4
- 料金
- 300円
- 住所
- 白河市郭内1-73(城山公園内)
- 電話
- 0248-24-5050
- 営業時間
- 9:00~16:30(最終入館16:00)
白河市歴史民俗資料館
- 住所
- 白河市中田7-1
- 電話
- 0248-27-2310
- 営業時間
- 9:00~16:00
- 休館日
- 月曜、祝日の翌日、12/28~1/4
- 料金
- 無料
- 住所
- 白河市中田7-1
- 電話
- 0248-27-2310
- 営業時間
- 9:00~16:00
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雑誌掲載日
※本記事の情報は掲載時の情報です
- 取材・文:菅原ケンイチ